つい先日、こんなツイートが物議を醸した。
育児つらいターンのママ友と話してたら、検診で正直に「子供に手を上げることがある」に○書いたら保健師に説教されて終わったそう。何やってんじゃー!!そしたら次から×つけて黙って帰るに決まってるじゃん。勇気を出してSOS発信したのに、叩きやすい人を叩いて仕事した気になってるんじゃないよ…— えり (@yasumilk0923) 2018年11月25日
これを見て、僕は心がすっと軽くなった。
そうだよね。
分かってるけどどうにもならないから悩んでるってなんで気づけないかな……。
分かってるけどどうにもならないから悩んでるってなんで気づけないかな……。
暴力はよくない、それは分かる
子供は親を選べない。
だから体罰名目で行き過ぎた行為をしてしまう、何かが壊れた親をニュースで見るたびにものすごく悲しくなる。
暴力そのものは絶対に良くないというのは、現代人として当たり前のことだ。
僕はそう思っているし、そうあろうと努力もする。
でも親も人間だ。
なにかイヤな事があったとき、心がざわついているとき、不安なとき、悲しいとき。
とくに育児不安でノイローゼになりかけている人だっているかもしれないのに、いきなり全否定から入るのはどうかしてる。
そういう子育てに寛容じゃない世界が、子育てをやり辛くしてると思うんだ。
どんな時も聖人君子でいられる人は居ない
うちの子だって最初は母乳がちゃんと吸えなくて悩んだり。
哺乳瓶の乳首が合わなくて、授乳に時間がかかり過ぎて寝る時間がほとんどなくなって悩んだり。
追い這いがすごくて何もできなくて悩んだり。
とにかくあらゆることが「妻<子供」って環境に悩んでいる妻を支えて、すこしでも「自分=妻=子供」ってなれるようにしてきたから、まだ何とかなっていたんじゃないかと思う。
頼れる親族も居なかった(実家は車で1時間以上かかる)し、僕らがなんとかしなければならない環境だったから余計にそういえる。
世間にとびかう様々な子育てに関するタブーが、世間体という名の束縛が子育てには付きまとう。
親は親として精いっぱいに愛情を注ぎ、健康状態に気を使い、子供の理解を得、ともに成長できるように関係性を築いていくので必死だ。
ハッキリ言えば、そういう状況下で手を上げる、上げないなんてほんとうに些細なことなんだよ。
だから頭ごなしに言われたところでまったく響かない。
それって事実を事実として認識した以上の効果があると思うの?ってなる。
大切なのは何?
親も分かってる。
でも手が出てしまう時がある。
じゃあどういう心境のときにそうなるのか?
どういう状況でそうなるのか?
もっとカウンセリングして、その家族にとってより良い解決法を模索することが最善なんじゃないかな。
何のために叱るのか?
叱る場面というのは、子供に成長の機会をあたえる場面です。
こんな風に教えてくれるのはこの本だ。
和訳書なので独特な言い回しや冗長な文体が少々読みづらくはあるけれど、生身のままの「親」としての作者が、「親」としての私たちに語り掛けてくる内容は素晴らしく真摯だ。
現代人として勤めて冷静に、そしてより賢く「親も子も育つべき」として教えてくれる様々な事は、きっと君にも伝わると思う。
私たちは人間です
僕らは親である前に一人の尊厳をもった人間だ。
これまでの成長の歴史から自己を作り上げてきた人間なんだ。
そしてこれからも成長すべき人間なんだから、投げずにあきらめずに自分らしくあればいいだけだと僕は思う。
他人の声は、けっきょく他人のものだからね。
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